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「立派な引き際」と言いながら、誰も次を語らない日本

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「引退を惜しむ声ばかり」こそ、政治の空白を示している──この断定が、今の日本政治の実情を最も的確に表している。

菅義偉・元首相の政界引退が報じられた直後、コメント欄には「お疲れ様でした」「立派な引き際」「英断」といった労いの言葉が溢れた。否定や批判はほとんどなく、安倍政権での忠誠心や携帯料金値下げ、不妊治療の保険適用といった実績が称えられた。
だが、そのどの言葉にも「次」を問う視点がない。誰が後を継ぐのか、どんな政策が引き継がれるのか、政治空白をどう埋めるのか──そこには沈黙がある。

日本社会には、「去る者を讃えること」が安全な共通語として定着している。政治に限らず、引退、辞任、退職といった場面では、議論を避けるための「お疲れ様でした」が万能の終止符として機能する。感謝の言葉は優しいが、同時に思考を止める装置でもある。

菅氏の引退を“時代の区切り”と呼ぶ声は多い。しかしその言葉の裏には、「これで一件落着」という安堵が潜んでいる。安堵は不安の裏返しだ。次を考えたくない、選びたくない、責任を持ちたくない──その心理が、政治の更新を止める。

今回の反応が示したのは、政治家本人よりも、有権者の構造的な惰性だ。後継者の議論が起きないのは、菅氏の功績が大きいからではなく、「誰がやっても同じ」というあきらめが広がっているからである。つまり、感謝はしばしば無力感の言い換えになる。

もちろん、「お疲れ様」と言ってはいけないわけではない。長年の功労をねぎらうことは大切だ。しかし、その感情の次に「誰がどう変えるのか」を考える段階が必要だ。引退を“終わり”ではなく、“始まり”に変える視点を持てるかが、社会の成熟を決める。

菅義偉氏の政治人生は「たたき上げの象徴」として語られるだろう。だがその物語を語り終えた後、私たちは「次」を作る物語を始めなくてはならない。政治家の引退を見送るたびに、空白が生まれる。問題は、その空白を埋めようとしない私たち自身だ。

結論として言えるのは、政治を労いの対象にしてはいけないということだ。政治は常に未完であり、次を問う行為の連続である。「お疲れ様」で止まる瞬間に、政治は老いる。
だからこそ、この記事を読んだ人に求めたい行動は一つだけ──**次の候補者を調べること**。それが、空白を埋める最初の一歩になる。

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